時間だよ。

 


鋭く尖った硝子のような喚起に、瞼がふるりと痙攣した。爆音と感傷にかき消されないように、きんと影を張った声だ。宣戦布告、或いは死刑宣告。そんな内容が良く似合う。

 

「……あぁ」


分かっている、アレルヤ。おざなりな返事に、だが彼は何も言わずに通信を切った。そうだ、時間だ。『時間だよ。』 かつてはそれは別の人間の役目だった。


もういない。

 

パイロットスーツの下で、身体が酷く冷えていた。指先にほとんど感覚が無い。今は見えないが、きっと皮膚がふやけてしまっているだろう。ヘルメットの中は塩辛い匂いでいっぱいだ。濡れた髪が首筋にまとわりついて気持ちが悪い。海、雨、水と風。さらさらと出来ていく砂浜を不思議に思ったが、なんのことはない、額から綺麗な砂が零れ落ちているだけだった。

 

『―――ティエリア』
「……なんだ」
『……いや、』


出撃の用意を。出撃の用意を。出撃の用意を。波の音にまぎれてアラームが鳴り響いている。愛機の中はいつだって少し寒いが、一度宇宙に出てしまえばそれも問題ない。

 

「刹那」
『……何だ』
「宇宙には雲が無くてよかった」


一瞬の沈黙、それから静かな同意。塩の匂いがする。


「曇ることがない。曇らなければ雨が降らない」
『そうだな』
「雨が降ると寒いだろう。そんな日は、」
『そんな日は?』
「―――海に行くといい」


ガウン、と横殴りの衝撃が来て、わずかに機体が揺れた。攻撃を受けている。切れたかと思ったが通信用のランプは点灯していた。


「アイルランドは寒いらしいから。南の。海へ」


重い腕を持ち上げ、重い銃を携える。何もかもが重いこの愛機は、しかし今更海ひとつ抱え込んだところでびくともしない。さあ来い。さあ撃て。

狙い撃て。

 

『それは、良いな』


刹那の声が途切れると同時に、引き金をひいた反動が全身にのしかかった。出撃前の僅かな時間にヴァーチェを駆け巡った白昼夢は、今、封筒の中にそっと折りたたまれて、コックピットに大人しく漂っている。

一文字だって読めやしない、黒い涙の塊だ。